おばばさんからの体験談の第3話です。
義母が看護助手として働いていた産婦人科で出産することになったおばばさん。
待ち受けていたのはとんでもないできごとでした…!!
当時の先生はとても良い先生で、私の意思をとても尊重してくれていました。
他の病院から外科医を呼び一緒に執刀してくださったのですが、過去に麻酔の事故があったらしく、完全にではなく軽く麻酔をかけだ状態で切開する。
まるで生き地獄のような体験をしました。
言葉には表せないほどの体験。
義母はそんな私の様子をつぶさに観察したかったのでしょう。
そのようになる経緯を義母は最初から知っていてわたしには伝えなかったのです。(半麻酔のこと)
もちろん緊急ということもあり。
そのあと手術の痛みと助産師のケアもなく熱発して乳腺炎のようになり、熱との戦いで退院がさらに伸びました。
後から知ったのですが義母が私にかけていた生命保険が、当時は20日以上の入院でないと給付金が降りないタイプだったようで、秘密裏に入院を伸ばしてもらっていたようです。
当然私は病室で産後うつのような状態になり、毎日赤ちゃんを見ながら涙を流していました。
『母乳が出ない』
今思えばぱんぱんに張った乳を揉み解すでもなく、ただ搾乳器をポンと置いて詰所ででタバコを燻らせているような看護婦や助産師のいる病院ですから、無理もなく本当に昭和だったんだなあと思います。
段々と乳房はしこりとなり、ある時は義母に
「どれ!」
と激痛の乳を鷲掴みにされ
「あーー陥没(乳首)だものこれは出ないさ」
と嘲笑うように言われた時は本当に悔しくて死にたくなりました。
それでも退院してからは少し実家に帰り、母と兄嫁の手厚い看護でやっと息を吹き返したものです。
しかし婚家に戻るとまた地獄の始まり。
とにかく一から十まで、赤ちゃんのことは全て義母が手だし口出し、お風呂に入れるのもオムツを替えるのも着る物も拭くものも、何もかも義母が決め義母がやっていました。
私はただの人形のようでした。
もうこの家が平和なら私の意思なんてどうでも良いとすら思えるようになり、娘が2歳になったら義母に預けて、また働き始めたのです。
帝王切開の手術室に義母が入ってくるなんて考えられません。
いくら病院関係者だといっても嫌です。
いや、義母だからこそ嫌だと思うのです。
そして保険金の問題も母乳のことも、どれをとっても義母の行動はおかしい。
デリカシーのかけらもない。
私から言わせると異常です。
こんな義母と一緒に住んで子育てがはじまった当時のおばばさん。
もう腹立たしいやら心配やらで気の毒すぎます…
続きます!!
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