同居デスブログ

義父母と同居のストレスは災害レベル!!

生き地獄だった20代の私(1)昭和の時代に50歳で未亡人になった義母と同居

ペンネーム、おばばさんからの体験談の投稿です。

 

 

 

 

未亡人になった義母と新婚当事から同居することになったおばばさん。

 

その生活は生き地獄のようだったそうです…

 

 

 

 

 

私が結婚したのは今から38年前、義母がまだ50歳の頃です。

 

数年前に夫が他界し未亡人になった義母のことを可哀想と思い、ちょっとした情け心での同居ということです。

 

私としたら本当に(魔がさした)としか考えられない判断だったと思います。

そこからの10年間はまさに生き地獄、針の筵の毎日でした。

 

カルチャーショックに加えて、まだ何もわからない20代の自分。

2階の狭い子供部屋を二つ与えられて、息を潜めるように始まった新婚生活。

 

まずはじめに驚いたのは、新婚旅行から帰ったその夜、義母が出してくれたのは冷凍ご飯を温めて作ったようなチキンライスだったのです。

 

今でも忘れられない。

 

実家とのギャップに恐れ慄きました。

結婚とは皆んながこのような思いをしているものだと、信じて疑わなかったのです。

昭和でしたから。

 

 

夫には3歳年下の妹がいて、小さい頃から義母が仕事を持っていたので、それはそれは兄を慕って兄の傍から片時も離れないような妹だったようです。

 

そこへ何処の馬の骨かわからない嫁がいきなり入ってきて同居。

それは嫉妬の対象にもなっていたと思います。

 

近くの町に(車で2時間)就職したばかりの妹は事あるごとに帰省していました。

いやそれは寄生とも言えるでしょう。

帰りにはどっさり冷凍庫の中のものを空にして持ち帰りました。

 

 

義母は休みの日など夫婦で出かけようとすれば

「今夜のメニューは決まってるの?決めてからでかけるものだよ?」

 

とにかくご飯の支度が苦手な義母は全て私におんぶに抱っこ。

 

私の職場まで(その頃は携帯もない)

「お兄ちゃん(旦那)今日はうちでご飯食べるって」

と、残業予定の夫が変更の連絡を入れるとすぐ私に私の職場に義母からそんな電話がかかってくるのです。

 

 

とにかく非常識、電話は私の職場だけでなく些細などうでも良いことまで旦那の職場にかけるのです。(例えば車で送迎して欲しい時)

 

 

結婚してる男の母親からしょっちゅう息子の呼び出しがある事を会社の事務の人はどう思っていたでしょう?

本当に恥ずかしい。

 

そして義母もこの頃は働いていたので、毎日の職場への送り迎えを息子にさせていたのです。

時間が少し自由になる勤めだったので母親の言うなりだった夫。

亡くなった義父の代わりという気持ちもあったのかもしれません。

 

それにしてもあり得ません。

 

それでもまだ年端のいかない私は意見することも思いつかず、違和感を覚えつつも傍観していました。

 

続く

 

 

 

 

 

 

当たり前のように家事をおしつけられ、子ども部屋で新婚生活を送り仕事もしていたおばばさん。

 

昭和の頃も令和の今も、悪質な義母は同じですね。

 

新婚旅行から帰って、残り物のような食事を用意されたこと、嫌がらせなのか?歓迎していないというアピールなのか?

 

そういう風に受け止めてしまいます。

ひどい。

 

忘れられない気持ち、とてもよくわかります。

 

 

そしてさらに、おばばさんのお話には続きがあります…

 

 

 

 

 

 

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