同居デスブログ

義父母と同居のストレスは災害レベル!!

義両親から受けた妊娠中のとんでもない仕打ち!(後編)

とうふさんからの投稿後編です。

 

妊娠中に猛烈な腹痛に襲われ入院することになったとうふさんに対する義家族のとんでもない仕打ちの続きになります。

 

 

 

「最初の子よね?お義母さんたちには初めての内孫よね?」

と看護師さんに何度か確認されました。

おなかの子が男の子だったので、余計に誰もお見舞いにこないのが奇妙だったようです。

 

私は何度か義母に入院で必要なものをもってきてほしいと頼みましたが、生返事ばかりで、本当に・・・

ベッドから起き上がることもできず、夏の暑さが厳しい中で下着の着替えも、歯磨きもできず、ぼんやりと天井をみあげる日々でした。

私の胃炎がウイルス性かもということで個室で一人で過ごしていました。

 

とうとう看護師さんたちが見かねて食事に使うお箸やコップ、患者さんが置いていった備品の石鹸などを貸してくださって、何度も本当に義家に連絡したのか、何度もきかれ、確か連絡するのに病院の電話も貸してくれたような記憶があります。

 

とうとう、私もぶち切れ気味に、今まで義家に電話していたのを夫に連絡、

「だっていつ退院するかわからなかったし、入院は短いだろうって・・・」

とごにょる夫に、とにかく着替えだけでも持ってきてくれるよう頼みました。

 

すると、やっと来たんです。

義父が。

 

それもドアをノックすることもなくいきなり病室にはいってきて、何の声掛けも挨拶もせず、私をみることもなく、紙袋を私の寝ているベッドの上にポーンとおいて、無言で帰っていたんです。

紙袋の中は、お願いしていた下着も着替えも、コップも歯ブラシもはいっていなくて、なぜか毛糸編みの靴下(真夏だよ)他、義家にあった、汚らしい布とか、そんなものばかりでした。

 

後で看護師さんがやってきて

「やっとおうちの人がきてくれたね。妊婦さんが入院すると心配されてご家族がくるのに、こないからどうしちゃったんだろうって思っていたの。よかったね。いま紙袋あけるね」
とベッドの上で放心している私に声をかけ、紙袋をあけて絶句。

「ちゃんと連絡したよね?なぜ靴下?湯呑は?着替えは?」

と看護師さんも困惑していました。

 


後日、夫に確認すると義実家は寺なんですが、寺の仕事を優先するのが当たりまえ
(小さい寺なので忙しくはない。割と暇)すぐ退院すると思った、など、信じられない言い訳の数々。

どうも義父母は入院=楽をする、というイメージだったらしく、私が胃の痛みで悶絶していた姿も医師と同じく「大げさ」という認識だったらしいです。

義母に至ってはお願いしたものを紙袋に入れてくれなかったことに関して「だって寒いと思ったから」と。

他人に対して想像力がないので、着替えが必要とか、私から聞いても、わからなかったようです。

 

産後、私から義家での生活(不衛生かつ非常識)を聞いた看護師さんたちが驚いて義父母に改善を求める話し合いをしてくれたものの、義父母には全く通じていないどころか、さらに看護師さんが卒倒するような色々をしでかし、私は産後うつになりました。

 

またこの時の僧侶でありながら冷たい義父の態度に仏教界への嫌悪が増しました。義父は義妹の子には優しく面倒もみたのですが、私の子には関心すらありませんでした。

今は息子にデレデレですが。

 

最近、義妹が乳がんのごくごく初期のものにかかり、切除したのですが、その時の義家の動揺と義妹への献身ぶりをみて、私は本当に、義家にとって

「子を産む機械」

だったのだなぁと思いました。

 

いま義母は義妹の夫が死んで義妹と義弟が疑似夫婦になれば子供もいるし丁度いい(私の楽園ができる)とのたまっております。

 

夫はあれから色々なことをへて私の味方になり得ましたが

「寺」「跡継ぎ」

という特殊な状況の中で義父母が年をとって老害に拍車がかかり、夫婦ともども、もう限界をむかえています。

 

義父母が両方、ぽっくり逝ってくれる以外、きれいに解決できる方法がなく、困っていますが、どうにかめげずに頑張りたいです。

 

 

 

 

すさまじい体験談でした。

お寺の跡継ぎという特殊な環境で生まれ育ったご主人はある意味

「洗脳状態」

にあったのかもしれません。

今はその洗脳が解けた状態なのがまだ救いです…

 

 

 

 

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